リンク:トップ頁へ  研究活動へ
「国際マーケティング概念規定に関する再検討」
経営総合科学 第77号 2001年9月刊に掲載
丸谷雄一郎(maruya@aichi-u,ac,jp)

目次
T はじめに
U 国際マーケティング概念の変遷
V 国際マーケティング概念規定に関する再検討
W むすびにかえて

T はじめに
国際ビジネスは古代ギリシャやエジプトにおいてすでに行われていたが、大航海時代、産業革命を経て、企業の国際化が本格化したのは米国系多国籍企業が世界進出を果たした第2次大戦以降である。第2次大戦以降の当初においては、米国系多国籍企業が世界を席巻したが、西欧諸国が復興すると、欧州系多国籍企業が国際競争に参入し、さらに日系多国籍企業、Nies諸国系多国籍企業も国際競争の主要なプレイヤーとなりつつある。企業が国際化し、世界市場における競争が激化するにつれて、企業のマーケティングにおいても国際化が重視され、国際マーケティングも非常にさまざまな側面から検討され、その概念に関してもさまざまな議論がなされてきた。
 以上の問題意識に基づいて、筆者は前稿(1)において国際マーケティングの概念の変遷について検討した。しかし、前稿は紙数が非常に限られていたために、一般的な概観を要約し、若干の検討を加えた内容となってしまった。
 本稿では、前稿の検討を踏まえつつも、国際マーケティング概念の変遷に関してより詳細に検討し、さらに、日本の国際マーケティング研究者によって近年活発に検討されつつある国際マーケティング概念の現在形であるグローバル・マーケティングの概念規定(2)について再検討していく。

U 国際マーケティング概念の変遷
国際マーケティングの概念は企業の多国籍化が進むにつれて変遷を遂げてきた。以下では、企業の多国籍化及び市場のグローバル化に伴う国際マーケティング概念の変遷に関して検討する(図1参照)(3)。
1.エクステンション・マーケティング
 輸出活動にマーケティング技術の部分的活用を初めて行った時期は1920年代までさかのぼる。そして、そうした動きが1つの戦略体系として構築されたのは米国系多国籍企業の多くが誕生した第2次大戦以降であった(4)。当時のこうした企業の国際化の動機は@市場開拓、A資源の確保、B安価な労働力の利用による低コストの実現であった。そのため、企業の国際化は大多数の企業にとってあくまでも本国のビジネスを優位に進めるためになされたものであり、国際化に向けた明確な目的やしっかりと定義された国際化戦略をとっている企業は非常に少数であった。マーケティングも当時は本国のマーケティングをそのまま単純に外延的に拡張したものであり、外延的延長という意味で「エクステンション・マーケティング」と呼ばれ、その継続する期間は企業の国籍、文化、戦略などによって多様であった(5)。
 そして、「エクステンション・マーケティング」は海外関与レベルといった戦略視野を加味して「輸出マーケティング」と「狭義の国際マーケティング」に分類されることもある。「輸出マーケティング」は生産が国内で行われることは国内マーケティングと同様であるが、消費は国外で行われる。「狭義の国際マーケティング」は輸出に加え、ライセンシングや直接投資による現地生産なども視野に入れており、生産及び消費の双方が国外ということもある(6)。
 これらのマーケティングは段階を経て海外市場の特殊性を配慮する程度が高くなるが、あくまでも基本は国内で行われたマーケティング戦略の外延的拡張であり、親会社があくまでも強力な権限を保有していることなどから「エクステンション・マーケティング」といえる。
2.マルチナショナル・マーケティング
 1960年頃には、米国系多国籍企業は海外市場のもたらす販売と利益の重要性を認識しつつも、本国と海外市場の相違を明確に意識したマーケティングを行うまでには至っていなかった。当時、彼らの強力な競争者は存在せず、「エクステンション・マーケティング」を行うことで海外市場において一人勝ちすることができたからである。
 1960年代後半になると、彼らに強力な競争者が誕生する。それは市場特性を考慮したマーケティングを採用する欧州現地企業であり、米国系多国籍企業も現地適応化を目的とした「マルチナショナル・マーケティング(マルチドメスティック・マーケティング)」を強いられるようになった。このマーケティングを選択した米国系多国籍企業の多くは進出先市場にうまく適応化し、市場を開発し、市場に浸透し、優位な地位を獲得していった。そして、1970年代にはマルチナショナル・マーケティングが国際マーケティングにおいて主流となっていった。
3.狭義のグローバル・マーケティング
 「マルチナショナル・マーケティング」が主流となると、そのデメリットも見られるようになった。現地適応化マーケティングである「マルチナショナル・マーケティング」は時間の経過とともに海外子会社の自主性が強くなる。このことは親会社との関係を疎遠にし(7)、世界規模での経営資源の有効活用や環境悪化への柔軟性(8)などといった多国籍企業である優位性を失わせることになった。
 バゼル(R.D.Buzzel)は「マルチナショナル・マーケティング」が本格化する以前の1968年という早い時期に標準化のメリットとその限界について述べている。彼は標準化のメリットとしてコスト削減、顧客に対する一貫性、計画性とコントロールの向上、よいマーケティング着想、人材の広域活用を示し、標準化の限界として市場特性、産業状態、マーケティング制度、法的制約などのさまざまな差異が生み出す問題を指摘している(9)。
 1980年代に入り、日本企業が高品質/低価格の製品の提供によって世界市場を席巻すると、現地適応化の指摘と日本的手法への関心が高まり(10)、世界的標準化の主張が強まった。レビット(T.Levitt)は「市場の同質化」が国際マーケティングの標準化を促進するという主張を行い(11)、その単純明解な内容ゆえに、彼に追随する論者と彼に批判的な論者(12)が標準化適応化論争を引き起こした。
 ハスザフ/ホックス/デイ(S.Huszagh,R.J.Fox&E.Day)はパールミュッター(H. V.Perlmutter)のEPGアプローチ(13)を援用し、ナショナル企業、インターナショナル企業(Ethnocentric)、マルチナショナル企業(Policentric)、グローバル企業(Geocentric)に企業を分類した。そして、国内市場を世界市場の一部とみなす標準化マーケティングを「グローバル・マーケティング」であるとした(14)。ハンプトン/バスク(G.M.Hampton and E.Buske)は世界市場の同質化傾向をうまく捉えた世界的に標準化されたマーケティングを「グローバル・マーケティング」とした(15)。
 当時の「グローバル・マーケティング」は「マルチナショナル・マーケティング」に対する意味合いでの世界的標準化マーケティングを示しており、その後双方を含めたより広義の意味合いの「グローバル・マーケティング」を捉える論者が増加したので、筆者は世界的標準化マーケティングを「狭義のグローバル・マーケティング」として捉える。
4.広義のグローバル・マーケティング
 上記の論争が進むにつれて、1980年代半ばに、世界的標準化と現地適応化とを相反するものとして捉える分析枠組を再考する動きが生じた。竹内/ポーターは2つを同時に達成することによって世界的優位を確立するべきであるとした(16)。これ以降、世界的標準化と現地適応化の状況適合的バランス論あるいは同時達成の主張が大勢を占めた。
 そして、マーケティング諸活動のグローバルな統合と調整を行う試みが増加し、標準化と適合化のバランスの取り方によって経営成果に違いが生じるといった仮説の検証が大きな課題となった。国際マーケティング・ミックスにおける標準化・適応化の適正バランスの実証的研究は環境要因、産業要因を中心になされてきたが、近年は企業要因についても検討されてきている(17)
 既述のように、こうした世界的標準化と現地適応化の同時達成を目指すマーケティングは上記の世界的標準化マーケティング(狭義のグローバル・マーケティング)と区別すれば、「広義のグローバル・マーケティング」として捉えることができる。
5.広義の国際マーケティング
 国際マーケティングの概念は上記の検討を通じても明らかなように非常に多様である。そして、国際マーケティング(広義の国際マーケティング)として一般的に用いられる場合には、「エクステンション・マーケティング」「マルチナショナル・マーケティング」「狭義のグローバル・マーケティング」「広義のグローバル・マーケティング」など様々な概念を含んでいる。
 なお、「トランスナショナル(超国家)・マーケティング」という概念も国際マーケティングの概念の検討において多様な解釈で用いられている(18)。例えば、嶋はグローバル企業が国家という優れて政治的枠を超越し、全く民族国家を意識しなかった形態を超国家企業と呼び、超国家企業によって行われるマーケティングを「トランスナショナル・マーケティング」としている(19)。
 小坂はトランスナショナルという用語が「世界に共通の」という意味に忠実だからという理由で標準化戦略を行うマーケティングを「トランスナショナル・マーケティング」としている。そして、この概念を適応化マーケティングを行う「マルチナショナル・マーケティング」と対峙させ、その双方を含む概念が「グローバル・マーケティング」であるとしている(20)。
 江夏はITの影響によって国境、業界、規制といった境界がなくなりつつあることを述べ、その最終的なマーケティングの形態として「トランス・ナショナル・マーケティング」を規定している(21)。
 このように、「トランスナショナル・マーケティング」という概念も多くの論者が使用している。しかし、この概念については論者による捉え方の相異が大きいので、筆者は本稿では広義の国際マーケティングの概念に含めなかったが、今後より一層の検討が必要である。

V 国際マーケティング概念規定に関する再検討
1.グローバル市場一元論に基づくグローバル・マーケティング概念の再検討
(1)グローバル市場一元論に基づくグローバルマーケティング概念とは
 「グローバル・マーケティング」という概念はその捉え方において統一されたコンセンサスは存在しない。Uで行った検討では、「グローバル・マーケティング」の概念の2つの捉え方、世界的標準化マーケティング(狭義のグローバル・マーケティング)と世界的標準化と現地適応化の双方のメリットを追求するマーケティング(広義のグローバル・マーケティング)について示した。
 しかし、嶋は広義のグローバル・マーケティングをさらに幅広く捉えて、グローバル・マーケティングの捉え方の変更を主張している。彼は国内市場と国外市場を区別して捉える従来の市場観(22)に対して異議を捉え、国内市場と国際市場を一元的に捉えるグローバル市場一元論を主張する(表1参照)。
 彼の主張は以下の通りである。1990年代に生じた東西冷戦終焉に伴う旧社会主義体制の崩壊、地域主義の台頭、WTOの設立、ITの発達と普及といった環境の変化はグローバル市場を創造し、グローバル市場を出現させている。グローバル市場は小規模企業や途上国企業にマーケティング機会を提供し、同時に先進国企業間の国境を越えた提携を実現させている。それにもかかわらず、従来の伝統的な国際マーケティングはグローバル・マーケティングを国際マーケティングの1つの発展段階として捉えており、その主体は多国籍企業に限定されてしまっている。そのために、多様な主体がグローバル市場で活動する現状を捉えきれておらず、新たな市場観に基づいた枠組みを提示する必要があるとし、その枠組みが国内市場と国外市場を区別しない新たな枠組みである(図2参照)(23)。
(2)グローバル市場一元論に対する批判
 大石は嶋の主張に対して批判をしている。彼の批判は主に国境に対する捉え方に対するものである。嶋はグローバル市場の出現で、市場のボーダレス化が進展したと主張するのに対して、大石は国境はあくまでも依然として越えがたい障壁として存在すると主張する。そして、従来のグローバル・マーケティングにおいても、国内市場を世界市場の一部として捉えており、国内外の不可分性に関しては疑問の余地はないとしつつも、市場の国内外の不可分性とボーダレス化は異なるとしている(24)。さらに、マーケティングのグローバル化は依然として国境を越えて実施され、いわゆるボーダフルな世界市場で、網の目状に国境を越えながら現代マーケティングは推進されているとしている(25)。
 この点に関して、彼は「ボーダレス・マーケティング」の典型とされるアマゾン・ドット・コムを例に用いて説明している。彼によると、商流、情報流、貨幣流、ソフトなどの一部の製品の物流はボーダレスになりうる。しかし、大部分の製品の物流や広告といった部分などボーダレスではない部分が多く存在し、依然としてボーダーはマーケティングにとって大きな影響を及ぼし続けるのである(26)。
(3)グローバル市場一元論に基づくグローバル・マーケティング概念の再検討
 嶋のグローバル市場一元論とそれに対する大石の批判を踏まえて、両者の相違を整理してみる。嶋の主張の構造はITの発達がグローバル市場を誕生させ、そこで行われるマーケティングは既存のマーケティングの枠組みでは捉えきれないので、新たな枠組みを構築するべきであり、それがグローバル市場一元論に基づいた枠組みであるということである。
 大石の批判はITの発達が市場に大きな影響を与えているが、その影響は限定的であり、依然として国境の意味は大きく、製造業中心の枠組み自体は変化しないというものである。
 両者の主張の相違はITの影響力への認識の相違に基づいている。嶋はITに対する影響力の強さを強調するのに対して、大石はその影響力の強さを認めつつも、既存の枠組みへの影響は限定的だとしているのである。
 こうした相違はグローバル・マーケティングの主体の相違と国境に対する捉え方の相異として現れている。嶋はITの発達が従来みられなかった新たな取引形態を可能にし、国境を希薄化し、個人やベンチャーでもグローバル市場に参入することを容易にしており(27)、彼らも含めたグローバル・マーケティングを考えるべきであり、主体を限定すべきではないとしている(28)。
 大石は小売業など既存の製造以外の産業での多国籍企業化はありうるとしても、新たに参入した彼らが最初からグローバル市場を想定したマーケティングを行うからといって、国境に対する意識が希薄化し、ボーダレス化するということにはならないとしているのである(29)
 以上のような議論は踏まえてグローバル・マーケティングという概念を改めて検討してみると、嶋の主張はITという重大な環境変化を踏まえたものであり、多国籍企業以外をも主体としようとした点も高く評価できるが、いくつかの問題点を抱えていることがわかる。
 嶋の主張は市場がボーダレスになっているので、国内市場と国外市場を一元的にみるべきであるというものである。しかし、この主張は裏を返せば、国境を越えることにまつわって生じる問題を主に取り扱ってきた従来の国際マーケティング(グローバル・マーケティングを含む)自体の独自性を否定することになってしまう。これまでも国際マーケティング不要論は存在したが、少なくとも国境を越えることにまつわって生じる問題を取り扱うことで、1つの特殊領域を確保してきた。嶋の主張はそれをも否定しまうことになり、国際マーケティング不要論を助長することになってしまう懸念がある。
 また、ITが全てをボーダレスにするということは現時点では確かにありえないだろう。大石のこの部分への批判は強い妥当性がある。国際マーケティングがボーダレスであり続けているという彼の主張は、特にIT活用がより一般化し、ITを活用することで成長した企業間の競争が激化するにつれて、物流などIT以外の要因で重要であるボーダフルな要因がより重要になるということを考えてみても妥当性は高いといえる。もちろん、ITにより物流も効率化し、SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)やグローバル・ソーシングといった流れを助長していることは事実であるが、このことは市場を完全にボーダレス化することとは異なるのである。
2.国際マーケティング不要論への挑戦
(1)国際マーケティング不要論
 国際マーケティング不要論は1968年のバーテルズ(R.Bartels)(30)以降常に存在してきた。国際マーケティング不要論については、三浦が非常に明快にこの議論についてまとめている。三浦によると、国際マーケティング不要論とは、「国際マーケティングは国内マーケティングと理論的には同じであり、それが適用される環境のみが違うだけである」(31)という主張である。三浦は国際マーケティングに対する多くの研究者の捉え方について、「国際マーケティング=国境を越えるマーケティング」という程度のものであり、それぞれが対象とする環境が国境を越えることによって異なるが、マーケティングの体系自体は変わらないと指摘している(32)。
 筆者もこの指摘と同様のことを感じてきた。こうした意識は特にマーケティングについて取り扱った専門書の中で国際マーケティングの章を執筆するにあたり、多くのマーケティング専門書の国際マーケティングの部分について検討してみて強くなっていた。多くの専門書の構成を筆者なりに整理してみると以下のようになる。
 @国際化、グローバル化という状況の説明とグローバル化の進展に伴う国際マーケティングあるいはグローバル・マーケティングの重要性の高まりに関する指摘。
 A国際市場の多様性に関する指摘と市場間にみられる相異の説明及び市場選択の重要性の指摘(国際市場細分化戦略、国際市場参入戦略を含む)。
 B環境の相異に対応した戦略の重要性の指摘と各市場に適応したマーケティング・ミックス戦略の提示(国際製品戦略、国際価格戦略、国際流通戦略、国際プロモーション戦略を含む)。
 筆者も前稿で国際マーケティングの概念について深く検討する以前は上記の枠組みを漠然と受け入れていた(33)。しかし、国際マーケティングの概念を検討し、その研究の歴史について検討するにつれて、未だに国際マーケティングがその需要の高さに比して未開拓である現状を打破し、独自領域を確立していく必要性を強く感じた。
(2)国際マーケティング不要論への挑戦
 既存の国際マーケティング研究には、多国籍企業が複数国で事業を展開することで得られるメリットが存在し(もちろんデメリットを存在するが)、そのメリットを獲得するために、世界的標準化と現地適応化を同時に達成するべきであるということは示されている。そして、既述のように、その標準化を決定する要因(企業要因、製品/産業要因、環境要因)に関する研究もなされてきた(34)。しかし、こうした研究はあくまでも多国籍企業の複数市場でのマーケティング活動のメリットの存在を明確化し、世界的標準化を行うかどうか決定する際には様々な要因を検討する必要があるといった仮説が出されたに過ぎず、実際のマーケティングの体系といった国際マーケティングの独自領域を示すには至っていない。
 しかし、国際マーケティング研究の独自領域を明確化することが国際マーケティング不要論に対抗するには不可欠であると主張する研究者も出現し、実際に、国際マーケティング研究の独自領域の明確化のための研究が示されてきた。その代表的な論者は黄と三浦である。両者の主張には表現の相異こそあれ、グローバル・マーケティングという新たな枠組みを明示することで、国際マーケティング研究の独自性を意識しているという点では共通点がみられる。以下では両者の研究を検討することで国際マーケティングの独自性を求めていく研究の方向性を明示してみたい。
@黄の研究
黄は市場と個々の企業のネットワークの双方が世界規模になり、本国市場だけではなく海外でも競争相手と直接対決するというグローバル競争の局面において、従来の国際マーケティングの枠組みでは有効な戦略を生み出すのが困難であるとした。そして、従来の枠組みを超えて、グローバル・マーケティングという新たな枠組みを設定する必要性を提示した。
 彼によると、グローバル・マーケティングとは、グローバル・ネットワークにおいて企業が多様な市場環境に適応し、世界規模の効率性及びイノベーションの推進と普及を追求することによって競争優位性を創造し、維持する活動である。そして、企業間のグローバル競争のもとでは、世界規模の効率性だけを追求する戦略の有効性は失われつつあり、グローバル・ネットワークにおいて、世界を分散する調達、研究開発、生産やマーケティングの付加価値活動を統合させる必要があり、製品、価格、ブランド、販売促進などのマーケティング・プログラムを柔軟かつスピーディーに調整しなければならない。また、グローバル・ネットワークにおける学習とイノベーションを促進し、その能力を共有し、普及させることによって戦略の有効性を高めることが有効である(35)。
 表2は黄が従来から国際マーケティングで問題とされてきた標準化概念をグローバル・マーケティングの枠組みの中で、マーケティング資源の移転、活用と変容の視点から再定式化した枠組みである。この枠組みは分析単位、分析対象及び評価基準において従来の国際マーケティングの枠組みと大きく異なっている。
 分析単位は従来の枠組みがマーケティング要素であるのに対して、個々のマーケティングと国別の市場環境要因を包括した多国籍企業の市場戦略や戦略プロセスである。分析対象は前者がマーケティング要素の標準化や環境要因であるのに対して、後者は戦略展開プロセスにおける経営資源の移転、活用、変容ならびにそれを支える企業能力である。さらに評価基準は前者が個々のマーケティング要素の標準化のメリットであるのに対して、後者は企業の経営成果といった戦略の有効性である(36)。
A三浦の研究
 三浦の研究はマーケティング・マネジメントの上位概念としてグローバル・マーケティングをおく新たな枠組みを提示した。三浦は新たなグローバル・マーケティングの枠組みを現代マーケティングの体系と比較することで示している(図3参照)。
 彼によると、グローバル・マーケティングと各国別マーケティングの関係は戦略的マーケティングとマーケティング・マネジメントの関係と同様にパラレルなものである。複数企業を展開している企業は戦略的マーケティングにおける事業ポートフォリオ分析などにより各製品事業部(SBU)ごとの基本戦略が決定され、その基本戦略に基づいて、マーケティング・マネジメント段階における各製品事業の個別マーケティング戦略が決定される。こうした関係と同様に、複数国の複数市場で事業を展開している企業はグローバル・マーケティング段階において各国ごとの基本戦略が策定され、この基本戦略に基づいて、各国別マーケティング段階における各国の個別マーケティング戦略が策定される(37)。
 また、図4は戦略的マーケティング、グローバル・マーケティング、マーケティング・マネジメントの関係を非常に明快に示している。複数事業を複数国の複数市場でマーケティング展開している企業の場合、各セルが各国で行われる特定製品事業のマーケティング・マネジメントを表す。図の製品aの列を太線で囲って示したように、グローバル・マーケティングはそれら国ごとのマーケティング・マネジメントの多様な展開と調整を行う。そして、この構図は戦略的マーケティングが各製品事業ごとのマーケティング・マネジメントを調整、統括するのと同様なのである。この枠組みで例えば、日本企業の国際展開考えたなら、日本本社などがこの調整・統括機能を果たしていると考えられる(38)。
(3)国際マーケティング研究の方向性
 黄の研究は既存研究では標準化することでメリットが得られるという程度にしか説明されてこなかった企業ネットワーク間のマーケティング資源の移転、移転された地域での活用、活用されることでの変容について説明できる枠組みを提示している。
 三浦の研究は戦略的マーケティングとマーケティング・マネジメントの関係をグローバル・マーケティングと各国別のマーケティングの関係にうまく置き換えることで複数市場で事業を展開することの意味を説明しようとしている。
 黄と三浦の研究はいずれも既存の枠組みでは非常に単純にしか示されてこなかった複数市場で事業を展開することの意味をより詳細に分析する枠組みを提示しているという点で今後の国際マーケティング研究の1つの方向性を示しているといえる。

W むすびにかえて
 ITの普及は市場のグローバル化を促進し、国際マーケティングの枠組みをも変化させようとしている。IT普及以前も市場の捉え方の変化に伴って国際マーケティングの概念も多様に解釈されてきた。しかし、ITの普及はこれまで以上のスピードで市場のグローバル化を加速させており、多国籍企業のみを主体とし、個々のマーケティング要素の標準化と適応化の組み合わせを考える従来の国際マーケティングの枠組みに再考を促しつつある。
 もちろん、現在においても国際マーケティングの主な主体は多国籍企業であることに変わりはないが、多国籍企業の内容は大きく変化しつつある。そして、多国籍企業の市場観や企業間の関係も変化しつつあり、市場のグローバル化は多様な形態でのマーケティング資源の移転や相互の連携を促進するとみられる。
 本稿では国際マーケティングの概念再考の新たな枠組みについて既存研究を中心に検討してきたが、今後は今回検討した様々な研究を踏まえて独自の枠組みを提示するために、新たな形態の多国籍企業の実態、グローバル化によって促進されたM&Aの実態、マーケティング資源の国際移転(39)などについてもより詳細に検討していきたい。

脚注

(1)拙稿「国際マーケティング」松江宏編著『現代マーケティング論』創成社、2001年、193-215頁。
(2)角松正雄「わが国における国際マーケティング研究の前進」『熊本学園商学論集』第1第1号、1994年、10頁。
(3)なお、図1はUで検討する国際マーケティング概念を中心に作成し、Uの内容を実線で示した。しかし、Vで検討する嶋の「グローバル市場一元論」に基づく「グローバル・マーケティング」の捉え方も非常に興味深い問題提起を含むので点線を用いて示した。
(4)竹田志郎「国際マーケティングの特性」角松正雄、大石芳裕編著『国際マーケティング体系』ミネルヴァ書房、1996年、64頁。
(5)大石芳裕「グローバル・マーケティングの分析枠組み」『佐賀大学経済論集』第26巻第2号、1993年、5頁。
(6)嶋正「グローバル・マーケティング戦略」角松正雄、大石芳裕編著『国際マーケティング体系』ミネルヴァ書房、1996年、151-152頁。
(7)大石芳裕、前掲書、1993年、5-6頁。
(8)角松正雄『国際マーケティング論』有斐閣、1983年、224-225頁。
(9)Robert D.Buzzel,"Can You Standardize Multinational Marketing?",Harvard Business Review ,Vol.46(November-December 1968),pp.102-113.
(10)日本から学ぶ姿勢は当時の多くの論文に見られる。例えば、Somkid Jatusripitak,Liam Fahey and Philip Kotler,"Strategic Global Marketing:Lessons from the Japanese",Columbia Journal of World Business,Vol.20(Spring 1985),pp.47-53.
(11)Theodore Levitt,"The Globalization of Markets",Harvard Business Review,Vol.61(May-June 1983),pp.92-102.
(12)世界的標準化に批判的な論者の多くは市場同質化の根拠のなさを追求した。国際マーケティング標準化論争に関して詳細は、大石芳裕「国際マーケティング標準化論争の教訓」『佐賀大学経済論集』、第26巻第1号、1-34頁を参照。
(13)EPRアプローチに関して詳細は、Howard V.Perlmutter,"The Tortuous Evolution of the Multinational Corporation",Columbia Journal of World Business,Vol.4(January-February 1969),pp.9-18を参照。
(14)Sandra Huszagh,Richard J.Fox and Ellen Day,"Global Marketing:An Empirical Investigation",Columbia Journal of World Business,Twentieth Anniversary Issue(Vol.20,No.4),1985,p.32.
(15)G.M.Hampton and E.Buske,"The Global Marketing Perspective",Advance in International Marketing,Vol.2,1987,p.260.
(16)Takeuchi.Hirotaka and Michael E.Porter,"Three Roles of International Marketing in Global Strategy,Michael E.Porter(ed.),Competition in Global Industries,Harvard Business School Press,Chapter 4,1986.(土岐・中辻・小野寺訳『グローバル企業の競争戦略』ダイヤモンド社、第3章、1989年。)
(17)諸上茂登「国際マーケティングにおける標準化/適応化フレーム」高井眞編著『グローバル・マーケティングの進化と課題』同文館、2000年、139-140頁。
(18)トランス・ナショナル概念は未だコンセンサスを得ている定義は存在しないが、バートレット/ゴーシャルによる概念規定が有名である。バートレット/ゴーシャルの概念規定に関して詳細は、Christepher A.Bartlett and S.Ghoshal,Managing Across Borders:The Transnational Solution,Harvard Business School Press,Chapter 4,1989(吉原英樹訳『地球市場時代の競争戦略:トランスナショナル・マネジメントの構築』日本経済新聞社、1990年、第4章)を参照。
(19)嶋正「グローバル・マーケティングの進化」高井眞編著『グローバル・マーケティングの進化と課題』、同文館、2000年、19頁。
(20)小坂恕『グローバル・マーケティング』国元書房、1997年、12頁。
(21)江夏健一「ミレニアムとトランスナショナル・マーケティング」高井眞編著『グローバル・マーケティングの進化と課題』同文館、2000年、173-174頁。
(22)嶋が主張する従来のグローバル・マーケティングは本稿で示す「広義のグローバル・マーケティング」に相当する。
(23)嶋正、前掲書、2000年、18-28頁。
(24)大石と嶋の上記の論争は日本商業学会などを通じてさまざまな形態で行われている。特に、日本商業学会の会員を中心に情報交換のために作られたグローバル・マーケティング研究会のMLならびに研究報告会は非常に興味深く、本稿はそこでの議論に多くの部分で触発を受けている。
(25)大石芳裕「グローバル・マーケティングの概念規定」高井眞編著『グローバル・マーケティングの進化と課題』同文館、2000年、48頁。
(26)大石芳裕「グローバル・マーケティングの現代的課題」近藤文男、陶山計介編著『21世紀のマーケティング戦略』ミネルヴァ書房、2001年9月予定。
(27)嶋正、前掲書、2000年、26頁。
(28)嶋正、前掲書、2000年、29-30頁。
(29)大石芳裕「嶋報告(転換期のグローバル・マーケティングの課題)へのコメント」『日本商業学会関東部会2000年1月定例研究報告会配布資料』。
(30)Robert Bartels,"Are Domestic and International Marketing Dissimil?",Journal of Marketing,32(July 1968),pp.56-61.
(31)三浦俊彦「マーケティング・マネジメントの上位概念としてのグローバル・マーケティング」『中央大学企業研究所年報』第21号、2000年、318頁。
(32)この主張は上記の三浦論文に対するグローバル・マーケティング研究会のMLでの大石氏のコメントに対する三浦氏の返信とその後筆者が三浦氏に対して行った直接インタビューの内容に基づいているが、本稿の内容に関する責は全て筆者にある。
(33)筆者も前稿では問題意識を持ちつつも、ほぼ下記の構成で国際マーケティングをまとめている。
(34)大石芳裕「国際マーケティング複合化戦略」角松正雄・大石芳裕編著『国際マーケティング体系』ミネルヴァ書房、1996年、126-149頁。
(35)黄りん「新興市場における多国籍企業の広告活動」『平成11年度 吉田秀雄記念事業財団研究助成報告書』2000年、5-6頁。
(36)黄りん「マーケティング資源の国際移転について」『国民経済雑誌』第182巻第1号、2000年、74-75頁。
(37)三浦俊彦、前掲書、2000年、318-319頁。
(38)三浦俊彦、前掲書、2000年、319-320頁。
(39)企業が複数市場で事業を展開する中でさまざまなマーケティング資源が移転するわけであるが、林は自らの経験に基づいて、マーケティング技術の移転について独自の理論を展開しており興味深い。詳細は、林廣茂『国境を越えるマーケティングの移転』同文館、1999年を参照。